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【大学野球①】32年ぶりの天覧試合

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早慶戦①

第1回:【32年ぶりの天覧試合】なぜ東京六大学野球だけに「天皇杯」が授与されるのか?

みなさん、こんにちは。武蔵ゼミナール大学受験英語塾です。

今週末、神宮球場では伝統の「慶早戦(一般的には早慶戦)」が開催されます。実は今回の対戦は、実に32年ぶりとなる「天覧試合」となり、天皇皇后両陛下、そして愛子内親王殿下も明治神宮野球場へお出でになる予定です。

令和の時代にプロ野球ではなく、大学野球が天覧試合となる――これがいかに特別なことか、みなさんはご存知でしょうか。実は、日本の野球界において「天皇杯」が授与されるのは、この東京六大学野球だけなのです。

今回は、そんな神宮の杜に息づく野球の歴史ロマンを紐解いてみましょう。

日本の野球は「学生野球」から始まった

現代でこそ「野球」といえばプロ野球を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、日本の野球の歴史を遡ると、その中心には常に「学生」がいました。

明治時代、アメリカから日本(現在の東京大学である旧制第一高等学校、冒頭のイラスト)に野球が伝わると、瞬く間に学生たちの間で熱狂を生み出しました。当時はプロ野球など存在せず、「野球といえば学生野球」の時代だったのです。

なかでも、明治36年(1903年)に始まった早稲田と慶應義塾による対抗戦は、日本中を巻き込む大人気コンテンツとなりました。あまりの熱狂ぶりに応援団同士が衝突しかけて長年試合が中止になったり、大正時代には判定を巡って大騒動になった「リンゴ事件」が起きたり、戦時中には出陣する学徒たちのために開催された「最後の早慶戦」が涙を誘ったりと、数々の伝説が遺されています。

プロ野球の人気が爆発し、現在のような地位を確立したのは、昭和33年(1958年)に立教大学のスター・長嶋茂雄氏が読売巨人軍に入団してからのことです。

それまでは名実ともに学生野球こそが日本の最高峰であり、象徴だったからこそ、野球界で唯一、東京六大学野球に「天皇杯」が下賜されているのです。

次回の第2回は、この伝統の一戦の呼び名を巡る、両校のプライドのぶつかり合いについてお届けします。どうぞお楽しみに!