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【正則英語学習法(4)】英語の「土台」作り

正則英語学習法

第4回:グラウンドの「土」と、英語の「土台」

先日、ふと高校時代を思い出していました。私は野球部に所属しており、当時は甲子園の常連だった帝京高校のグラウンドが一種の「聖地」のように見えていました。

卒業後、縁あって東京の高野連で審判を務めることになり、練習試合などでその憧れの地に立つ機会をいただきました。そこで改めて知ったのが、あの周辺が「加賀」という地名であること。かつて加賀藩・前田家の下屋敷があった地であることを知ったとき、私は不思議な感覚を覚えました。

荒れ地であった砂丘を開墾し、百万石の礎を築いた前田家の生存戦略。 その歴史ある地の空気に触れながら、私はふと思うのです。

「英語も、野球も、同じ『土』から始まるのではないか」と。

グラウンドの土を整備し、足場を固めるからこそ、全力でプレーができる。 英語の知識も同じです。目先の点数という「金メッキ」を追いかけるのではなく、自分の手で一つひとつ、言葉という「土壌」を耕し、強固な土台を築く。

私が38年間、板橋の地で塾を続けてきたのは、そんな「自分自身で開墾できる人間」を育てたかったからなのかもしれません。

審判の立場から多くの勝負を見てきましたが、最後に勝つのは、常に「自分の足元(土台)を大切にできる選手」でした。

受験も同じです。 どうか、砂上の楼閣ではなく、自分自身の力で耕した「豊かな大地」の上を歩いてほしい。

今日は少し、私の思い出話にお付き合いいただきました。 次回のブログでは、また本題の英語学習の「核心」へ戻りましょう。それでは。

【正則英語学習法(3)】最後に笑うのは『楽せぬ楽』を知る者

正則英語学習法

『楽せぬ楽』を知る者が、最後に笑う

「金メッキの5」を剥ぎ取り、「無我夢中」という学習の喜びを知る。 ここまでのブログで、多くの保護者の方から「目から鱗が落ちた」という反響をいただきました。しかし、最後に一つだけ、どうしても伝えておきたい「知恵」があります。

それは、古くから富山の薬売りに伝わる「七楽の教え」です。

「楽すれば楽が邪魔して楽ならず。楽せぬ楽がはるか楽々。」

この言葉、今の受験生と、それを支える保護者の方々にこそ、深く噛み締めていただきたいのです。

目先の「楽」が、将来の「苦」を予約している

「訳読式(=訳毒式⁈)」の授業で模範訳を暗記し、効率よくテストの点を取る。これは、目先だけの「楽」です。しかし、その「楽」は、やがて英語が言葉として機能しないという「苦」を招きます。試験さえ終わればすぐに忘れてしまうような知識に、どれほどの価値があるでしょうか。

私たちは、目先の楽という「毒」に騙されてはいけません。

「楽せぬ楽」こそが、真の自由への近道

では、「楽せぬ楽」とは何か。 それは、一見すると遠回りで、泥臭い「学習」です。音声を徹底的に聞き込み、なぜそうなるのかを腑に落ちるまで考え抜き、自分の体の中に英語を叩き込む。それは、決して効率的とは言えないかもしれません。

しかし、一度その境地に達すればどうなるか。 辞書を引く苦労からも、訳文の不正確さに悩む必要からも解放されます。英語というツールを、自分の手足のように、自由自在に使いこなせるようになる。これこそが、人生における「はるか楽々」な境地なのです。

38年間、私が生徒たちと歩んできた道

私が38年間、この場所で「直聞&直読直解法」を貫いてきたのは、生徒たちにこの「真の楽」を手にしてほしいからです。

「努力」ではなく「無我夢中」で英語の海に飛び込む。 そして、目先の効率を捨て、本質を追い求める。

これこそが、AI時代を生き抜く子供たちに授けられる、最高の財産です。大学受験という通過点は、ほんの序章に過ぎません。その先にある長い人生を、言葉の壁に縛られず、世界と自由に交流できる「純金」の人間を育てたい。

「楽せぬ楽」の先にある絶景を、お子様と一緒に見に行きませんか?

 

【正則英語学習法(2)】英語の「勉強」を「学習」に変えよう!

正則英語学習法

その「勉強」を「学習」に変えれば、君はもっと自由になれる

前回のブログで「金メッキの5」について触れました。多くの反響をいただき、ありがとうございます。さて、今回はその続きです。

「君たち、『勉強』って好きか?」

塾でこう聞くと、みんな苦笑いします。当然ですよね。私も、昔から「勉強」という言葉はあまり好きではありませんでした。

なぜなら「勉強」という言葉には、「勉めて(つとめて)強いる」という、どこか「強制」のニュアンスが含まれているからです。自分で望んでやっているというよりは、誰かにやらされている、あるいは自分を無理やり押し込んでいる……そんな辛そうなイメージがつきまといます。「努力」という言葉も同じです。どこか我慢を前提としたマイナスの響きがしませんか?

しかし、私が受験生時代に気づいた、ある真実があります。

英語は「勉強」するものじゃない。「学習」するものなんだ。

「学ぶ」の語源は「真似ぶ(まねぶ)」。「習う」の語源は「慣れる」。 つまり、先人の言葉を真似して、体に馴染むまで繰り返す。それだけでいいんです。そう考えると、そこには「辛い強制」ではなく、自分の身体をチューニングしていくような軽やかさが見えてきませんか?

そして、私は「努力」という言葉を捨てました。その代わりに「無我夢中」という言葉を好んで使うことにしています。

「努力して遊ぶ」とは言いませんよね。でも、「夢中になって遊ぶ」とは言います。 お釈迦様は、本当の学習とは「高次な意味での遊び」のようなものだと言われました。我を忘れて対象に入り込み、気づいたら時間が過ぎている。あの楽しい没入感こそが、英語を血肉にするための最大の秘訣なのです。

「文法・訳読式」という苦行で点数を絞り出すのはもうやめましょう。 英語の音を真似び、体に慣れさせ、無我夢中になって英語の海に浸る。

塾での私の授業は、いわば「英語という遊び場」です。 辛い「勉強」から、「夢中になれる学習」へ。 この切り替えができたとき、君たちの英語は「金メッキ」から「純金」へと、劇的に輝きを変えるはずです。

実は以前、学習雑誌の記者が取材に来られた際、教室内で英語に夢中になっている生徒たちの姿を見て、こう驚かれました。 「これ、本当に受験生ですか? 私が受験生の時にここに来たかった!」

そのとき、私は確信しました。人間は、本来「学習」が好きなんです。ただ、「勉強」という名の強制力で、その純粋な知的好奇心を封じ込められていただけだったのだと。(つづく)

【正則英語学習法(1)】その「5」は金メッキではありませんか?

英語正則

その「5」は金メッキではありませんか? ―「偽物の実力」が招く悲劇

「学校の通知表で英語が『5』の人?」

塾でそう尋ねると、初級の生徒の約半数が自信ありげに手を挙げます。しかし、続けてこう聞くと、空気が一変します。

「では、実力テストや模試で、納得のいく点が取れている人?」

先ほど手を挙げたほとんどの生徒が、静かに手を下ろし、気まずそうに視線を落とします。無理もありません。もし今の実力で満足のいく結果が出ているなら、わざわざ塾の門を叩く必要などないのですから。

私はそこで、逃げ場のない問いを投げかけます。

「ねえ。前回の中間テストの問題を、もう一度突然出されて、同じ点が取れる?」

教室は静まり返ります。うつむく生徒たち。彼らはすでに、自分の中にある「ある事実」に気づいているのです。

私ははっきりと言います。 「それは『偽物の実力』だよ。金メッキの『5』に過ぎないんだ」

「金メッキ」が招く、人生最大のショック

保護者の皆様は、お子様の通知表を見て安心されるかもしれません。しかし、その「5」は、本当に一生使える「純金」の実力でしょうか?

「文法・訳読式」の授業で習ったことを丸暗記し、テストという狭い枠の中だけで通用する「金メッキ」を必死に磨いてきた。その結果、勘違いしたまま大学受験という門をくぐり抜けたとしましょう。

しかし、その先に待っているのは、かつてない絶望です。

社会に出たとき、自分の英語が一切使い物にならないという現実に直面する。そのときのショックは、想像を絶します。「英語が得意だ」と信じていた学生時代と、現実に立ちすくむ社会人になってからのギャップ。その時になって初めて「あれは砂上の楼閣だったのだ」と気づいても、取り返しはつきません。

私は、そんな未来をお子様に歩ませたくない。

「悔しいか? なら、そのメッキを今すぐ剥がして、本物の『純金の5』に作り変えよう」

私の塾では、英語を「暗記の対象」ではなく、「言語として脳に染み込ませる学習」へと切り替えます。遠回りに見えて、これこそが、将来どんな場面でも揺るがない「本物の実力」を手に入れる、唯一の近道だからです。

今、お子様が持っている「金メッキ」(=文法・訳読式)に気づいてください。そして、未来を見据えて「純金」(=直聞&直読直解法)へ磨き上げる決意を、今ここで一緒にしましょう。(つづく)