
第2回:【三田の理財、早稲田の政治】「早慶戦」か「慶早戦」か?呼び名に隠されたプライド
みなさん、こんにちは。武蔵ゼミナール大学受験英語塾です。
今週末に神宮球場で開催される、32年ぶりの天覧試合としても大注目の伝統の一戦。一般的には「早慶戦」と呼ばれますが、実は慶應の学生や関係者は「慶早戦」と呼びます。
今回は、この呼び名に隠された、120年以上にわたる両校のプライドの歴史についてお話しします。
「三田の理財、早稲田の政治」が紡ぐカラー
かつて日本の最高学府として双璧をなした両校には、「三田の理財、早稲田の政治」という格言がありました。
経済界・ビジネスの第一線に強い人材を数多く輩出してきた慶應義塾(三田)。一方で、言論界や政界、ジャーナリズムの世界に多大な影響力を誇ってきた早稲田。それぞれに異なる輝かしいカラーがあり、お互いを最高のライバルとして認め合ってきました。
では、なぜ世間では「早慶戦」という呼称が定着したのでしょうか?
その理由は、大正から昭和初期にかけてのメディアの背景にあります。当時、新聞社をはじめとするマスコミ業界には早稲田出身の記者が非常に多かったのです。そのため、メディアを通じて自然と「早慶戦」という呼称が世間に広まり、定着していきました。
しかし、三田(慶應)のプライドとしては、我が校の文字を先にすべく、学内やオフィシャルな場面では今でも必ず「慶早戦」と呼ぶ伝統が守られています。
お互いへのリスペクトがあるからこそ、一文字の順番にすら徹底的にこだわる。この両校のプライドのぶつかり合いこそが、神宮球場にあの圧倒的な熱気を生み出すのです。
次回の最終回は、私自身が浪人時代にこの伝統の熱量に人生を動かされた、切なくも熱い実体験をお話しします。