
その「勉強」を「学習」に変えれば、君はもっと自由になれる
前回のブログで「金メッキの5」について触れました。多くの反響をいただき、ありがとうございます。さて、今回はその続きです。
「君たち、『勉強』って好きか?」
塾でこう聞くと、みんな苦笑いします。当然ですよね。私も、昔から「勉強」という言葉はあまり好きではありませんでした。
なぜなら「勉強」という言葉には、「勉めて(つとめて)強いる」という、どこか「強制」のニュアンスが含まれているからです。自分で望んでやっているというよりは、誰かにやらされている、あるいは自分を無理やり押し込んでいる……そんな辛そうなイメージがつきまといます。「努力」という言葉も同じです。どこか我慢を前提としたマイナスの響きがしませんか?
しかし、私が受験生時代に気づいた、ある真実があります。
英語は「勉強」するものじゃない。「学習」するものなんだ。
「学ぶ」の語源は「真似ぶ(まねぶ)」。「習う」の語源は「慣れる」。 つまり、先人の言葉を真似して、体に馴染むまで繰り返す。それだけでいいんです。そう考えると、そこには「辛い強制」ではなく、自分の身体をチューニングしていくような軽やかさが見えてきませんか?
そして、私は「努力」という言葉を捨てました。その代わりに「無我夢中」という言葉を好んで使うことにしています。
「努力して遊ぶ」とは言いませんよね。でも、「夢中になって遊ぶ」とは言います。 お釈迦様は、本当の学習とは「高次な意味での遊び」のようなものだと言われました。我を忘れて対象に入り込み、気づいたら時間が過ぎている。あの楽しい没入感こそが、英語を血肉にするための最大の秘訣なのです。
「文法・訳読式」という苦行で点数を絞り出すのはもうやめましょう。 英語の音を真似び、体に慣れさせ、無我夢中になって英語の海に浸る。
塾での私の授業は、いわば「英語という遊び場」です。 辛い「勉強」から、「夢中になれる学習」へ。 この切り替えができたとき、君たちの英語は「金メッキ」から「純金」へと、劇的に輝きを変えるはずです。
実は以前、学習雑誌の記者が取材に来られた際、教室内で英語に夢中になっている生徒たちの姿を見て、こう驚かれました。 「これ、本当に受験生ですか? 私が受験生の時にここに来たかった!」
そのとき、私は確信しました。人間は、本来「学習」が好きなんです。ただ、「勉強」という名の強制力で、その純粋な知的好奇心を封じ込められていただけだったのだと。(つづく)