武蔵ゼミナール
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文法訳読式の授業の矛盾

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直聴直解

すぐれたプロの翻訳者も英語のまま読んでから、それを日本語に的確に翻訳しています。すると、学校でされている文法訳読式の授業はまったく意味をなさず、まずは直読直解できるようにすることが先決ではないでしょうか?

プロの翻訳者は「英語のまま読んで(直読直解)、その後に日本語を構築する」というプロセスをたどります。この観点から見ると、学校教育で「一文一文を後ろから返り読みして日本語に直す」ことをゴールにする文法訳読式の授業は、翻訳の訓練としても、英語の習得としても、大きな矛盾を抱えていると言わざるを得ません。

「まずは直読直解(左から右へ、英語の語順のまま理解)できるようにする」ことを先決とするのが、言語習得の自然なステップです。

では、なぜ日本の学校現場ではこの矛盾した勉強法が続いており、最初から直読直解を教えないのでしょうか。そこには以下のような構造的な理由(あるいは言い訳)があります。

なぜ学校は「直読直解」を先決にしないのか?

「知識のテスト」のしやすさ:日本の英語教育(特に受験)は長年、英語ができるかという「能力」ではなく、文法規則を知っているかという「知識」を測るものでした。日本語に訳させる問題は、生徒が文法構造を理解しているかを採点者が一目で判別しやすいため、テスト運営上の都合で重宝されてきました。

教師の指導力と環境の限界:クラス全員に「英語を英語のまま処理する感覚」を身につけさせるには、大量の英語をインプット(多読・多聴)する環境や、日本語を排したインタラクティブな指導が必要です。しかし、1コマ50分、週に数回、かつ大人数のクラスでは、日本語で文法を講義して訳させるスタイルの方が「授業をコントロールしやすい」という現実があります。

「母語(日本語)の思考力」への依存:日本の学校は、英語教育を「論理的思考力を養う(日本語を深く考える)」ための一手段として捉えてきた側面があります。英語をパッと理解させるよりも、日本語と対比させて「なぜこの訳になるのか」を議論させる国語的なアプローチが伝統的に好まれてきました。

「文法訳読式」をいくら続けても、英語を「言語」として使いこなす日は来ません。いったいいつまで、学校はこの矛盾した構造に受験生の大切な時間を費やさせ続けるのでしょうか?

翻訳家がプロとして成立するのは、土台に「直読直解」の力があるからこそです。語順が逆の「文法訳読式」から脱却し、まずは左から右へ英語をそのまま受け止める。この「正則英語」のステップを踏み出すことこそが、難関大合格と一生モノの英語力を引き寄せる最短のショートカットなのです。

 学校の授業の仕組みを変えることはできなくても、あなた自身の「英語との向き合い方」を変えることは今日からでも可能です。「訳す」のをやめ、まずは左から右へ英語をそのまま受け止める「正則・直聴直解法」へ。この正しいステップを踏み出すことこそが、受験という限られた時間を最大限に活かし、難関大の扉をこじ開ける唯一の近道なのです。